concept 赤坂すずかけ保育園   福岡市小規模保育事業A


パートナーである
まちの保育園の考え方

保育園と地域をつなぐコミュニティコーディネーター

保育園と地域をつなぐコミュニティコーディネーター


まちの保育園ではこども、保護者、保育士と地域をつなぐ存在として「コミュニティコーディネーター」という専任職員を置いています。コミュニティコーディネーターは事務の仕事を受け持ちながら、保育園受付にいて、こども、保育者、保護者との関係を築き、ときに保育のサポートにも入ります。先述の「コミュニティの年輪」の芯を意識して、まずはこどもについて理解を深め、こどもを中心に保育者、保護者の信頼関係を育むために動きます。時には園長、副園長、看護師らとともに、運営の方向性についての話し合いにも加わる重要な存在です。

コミュティコーディネーターが地域に出ていくときには、地域の歴史や文化的背景を調べ、どのような人が住んでいるか、どのような施設があるかを把握するところから始まります。そして誰がどのような想いで暮らしているか、どのような時間帯に何をやっているか、地域やこどもへの想いはどうかなどを理解して、活動を組み立てていけるといいと思います。

地域との出会いには二つへの方向性があると私たちは考えています。

ひとつは、こどもから。保育の中でこどもが出会ったらよさそうな、おもしろそうな人、施設を、こどもから聞いたり、保育者と共に想像し、人や施設との出会いをつくります。

もうひとつは、地域から。地域の声をひろい、こどもや保護者につなげることもあります。地域どうしをつなぐことも期待されています。

取り組みは正しさよりも、おもしろさで。
まずはやってみるという挑む心を持って。
なにより、自分がわくわくすることがよき橋渡しになると考えています。コミュニケーションは効率性よりもまめさが大切で、ちょこちょこ色々な話を聞いている中でアイデアが浮かんでくることが多いのではないでしょうか。

可能性として豊かであり、有能な学び手としてのこども

可能性として豊かであり、有能な学び手としてのこども

こどもの姿を見つめるまなざしとして、2つの考え方があります。ひとつは、未来への準備・学校への準備をさせる「準備期としてのこども」観。そしてもうひとつは、こどもが一市民として歓迎され、その権利を尊重され、こども時代にしか育めない大切な力、できない経験があると考える「市民としてのこども」観です。

また、別の視点として、学校や保育所には、結果主義の視点とプロセス主義の視点があります。結果主義とは、「できるようになったこと」を確かめる視点。それに対し、プロセス主義は、こどもが何に夢中になっているか、何に気づき、どのような気持ちで、こどもなりに探究しているかという姿を見つめる視点。こどもの学びの課程を大切にする視点です。

もちろん、文字が書けた、運動が活発になった、歌が上手に歌えたなど、できるようになったことを讃えあうのは、すばらしいことでしょう。ただ、この結果主義の視点は、こどもの能力・才能をいくつかのチェックリストで規定してしまうことにもつながりかねません。とくに乳幼児期においては、もっと伸びやかな、こども本来の育つ力が発揮されるような視点もあるようにも思えます。

「準備期としてのこども」観は「結果主義」と、「市民としてのこども」観は「プロセス主義」と結びつきやすいと、私たちは考えており、「市民としてのこども」観、つまり「プロセス主義」を大切にしています。

こどもが「今どのような芽を自ら伸ばそうとしているか」を、ゆったりとしたまなざしで見つめ、その芽が素直に力強く育まれるには、どのような環境や配慮があるとよいかを見ていく。一人ひとりのこどもを「主人公」として、彼らから生まれてくる育ち(学び)の物語を、まわりの大人が受け止め、守り、ともに編んでいくためのまなざしといってもいいでしょう。

こどものありのままの姿を、まずはあたたかいまなざしで見つめる。そして、みずみずしい可能性、有能性、個性の発揮を確認したなら、それをこどもやまわりの人と喜びあえたらすてきです。

こどもを豊かな個性をもつひとりの市民、人格としてとらえて、関わっていく。それは結果的に、大人にも多くの発見をもたらし、人生観や生活を豊かにする新しい気づきを与えてくれるはずです。そうしたプロセスをみんなで楽しんでいくことで、豊かにつながりあえる社会がつくれるのではないでしょうか。大人とこどもの境界を取り払い、市民として向き合えたときに、より創造的な時間が待っていると私たちは信じています。

一生ものの出会いと経験を

一生ものの出会いと経験を

乳幼児期に、試行錯誤や興味や関心を追求することにより得た感覚や知恵、知識は人生の大きな財産となります。そのために、私たちは家庭と協力し、こどもたちがさまざまな経験ができる場をつくり続けたいと考えています。

また、乳幼児期は人格を形成するうえで大切な時期であり、その時期に関わった人物はこどもに大きな影響を与えることになります。あらゆる可能性を持って生まれてくるこどもが、その可能性をみずみずしく発揮するための環境づくりにおいてもっとも重要なことは、「どのような人と、どう関わるか」であると私たちは考えています。

出会いには人だけでなく、文化や出来事も含まれます。こどもたちは文化の中で生きており、さまざまな形でこどもの知性や感性の門を叩くのは、やはり実体験です。保育者はこどもの気持ちを受け止めながら主体性に徹底的に寄り添い、また自分たちも一緒に楽しみながら保育を展開していきます。

取り組みを選ぶときのキーワードは「心が動く」

保育・子育ての世界に、正解・不正解はありません。私たちは、保育者同士、保育士とこども、こども同士の対話はもちろん、保護者や地域のさまざまな方々の価値観も加えた保育を行います。なにか取り組みを行うときに考えているのは、「心が動く」かどうかということ。そして、こどもに与える出会いや活動を、より豊かにしていくために語りあえる状況をつくることが最善だと考えています。

それぞれのこどもがどうあればいいか、さらに個々のいいところも、ひとりの人が見るよりも大勢で多面的に見ていったほうが、より明らかになります。関わる大人にとっても、こどもにとっても、そうしたプロセスが、人生や生活の豊かさをもたらしてくれると思うのです。

コミュニティの年輪論

コミュニティの年輪論

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私たちが理想とするコミュニティは、木の「年輪」にたとえると想像しやすくなるように思います。

まず、「年輪」の芯には、こどもがいます。そのひとつ外側には保護者と保育者が、さらに外側には、親戚の方や保育園の関係者が。一番外側に地域社会、さらにもっと広い社会、そして世界もあります。

小さかった木が年輪を重ね立派な大木へと育っていくためには、まず、芯になるこどもを中心とした保育者、保護者の信頼関係がまっすぐで、強くたくましくなければなりません。大切なのはお互いが「こどものもつ豊かな可能性」を信じることです。

こどもを中心にした、保護者、保育者の信頼関係があって、はじめて地域とのつながりが意味をもちます。私たちは、コミュニティの年輪が豊かに育まれるために、その「芯」を常に意識しながら、活動を組み立てていきたいと考えています。

可能性として豊かであり、有能な学び手としてのこども

可能性として豊かであり、有能な学び手としてのこども

こどもの姿を見つめるまなざしとして、2つの考え方があります。ひとつは、未来への準備・学校への準備をさせる「準備期としてのこども」観。そしてもうひとつは、こどもが一市民として歓迎され、その権利を尊重され、こども時代にしか育めない大切な力、できない経験があると考える「市民としてのこども」観です。

また、別の視点として、学校や保育所には、結果主義の視点とプロセス主義の視点があります。結果主義とは、「できるようになったこと」を確かめる視点。それに対し、プロセス主義は、こどもが何に夢中になっているか、何に気づき、どのような気持ちで、こどもなりに探究しているかという姿を見つめる視点。こどもの学びの課程を大切にする視点です。

もちろん、文字が書けた、運動が活発になった、歌が上手に歌えたなど、できるようになったことを讃えあうのは、すばらしいことでしょう。ただ、この結果主義の視点は、こどもの能力・才能をいくつかのチェックリストで規定してしまうことにもつながりかねません。とくに乳幼児期においては、もっと伸びやかな、こども本来の育つ力が発揮されるような視点もあるようにも思えます。

「準備期としてのこども」観は「結果主義」と、「市民としてのこども」観は「プロセス主義」と結びつきやすいと、私たちは考えており、「市民としてのこども」観、つまり「プロセス主義」を大切にしています。

こどもが「今どのような芽を自ら伸ばそうとしているか」を、ゆったりとしたまなざしで見つめ、その芽が素直に力強く育まれるには、どのような環境や配慮があるとよいかを見ていく。一人ひとりのこどもを「主人公」として、彼らから生まれてくる育ち(学び)の物語を、まわりの大人が受け止め、守り、ともに編んでいくためのまなざしといってもいいでしょう。

こどものありのままの姿を、まずはあたたかいまなざしで見つめる。そして、みずみずしい可能性、有能性、個性の発揮を確認したなら、それをこどもやまわりの人と喜びあえたらすてきです。